24日、青山ブックセンターに行った。一番好きな本屋さんかもしれない。いつもあまり人がいなくて居心地がいいし、チェックしていた本が次々目に入ってくるから嬉しくなる。気が合う。
行った日もそうで、入ってすぐのところにレーモン・クノーの「文体練習」が置いてあって驚く。現物が置いてあるのは見たことがなかったから、ああもう今買おうと思いたち買った。その勢いで単行本持ってるもんな〜と渋っていた星野源「いのちの車窓から」、若林正恭「ナナメの夕暮れ」文庫版も手に取る。二冊隣り合って平置きされていた。
星野源「いのちの車窓から」文庫版
久々に読み返す。やっぱり「夜明け」の章がとくべつに好き。そして文庫版あとがきに目を通す。「未来はわからない」。景色を新しいものに更新していくこと。年末に観たドラマ「それでも、生きてゆく」のセリフを思い起こす。
逃げたら、悲しみは残る。死んだら、殺したら、悲しみが増える。増やしたくなかったら、悲しいお話の続きを書き足すしかないんだ。
逃げ出したくなる瞬間は幾度となく訪れる。けれど、自らでかき集めた言葉たちが服の裾を掴み引き留めつづけてくれている。これらの言葉が、思いが、いつかは実感に変わるのだろうか。
源さんはここ数年、どんどん解き放たれていっているように見える。それは見えないところで沢山のことを諦めたり、捨てたりして得たものなのかもしれないけれど私にとっては嬉しい。彼の陶酔しない在り方や"普通"を死守せんとする姿に、ずっとあこがれている。
この写真は2017年のカメラロールから。これを撮っていた頃の景色と今、そしてこれからの景色。続ける限り、いやでも変わっていく。
若林正恭「ナナメの夕暮れ」文庫版
これに関しては感想を書くのではなく、下線をひいておきたい言葉があるので、それを引用しておく。
傷と向き合ってきた。それだけが今の俺を支える自信だ。
「だから、自分のことを弱いと思っているかもしれないけど、傷と戦っている強くてタフな人間だと思って欲しい。それは、今の俺にはもうできないことだから」
レーモン・クノー「文体練習」
仲條正義による装丁に惚れ惚れする。翻訳家によるあとがきと並行に読むのが楽しい。
"翻訳"って、どこまでもロマンチックな作業だ。小さい頃読んだ「ハリー・ポッター」には一巻に一枚ハガキが挟まれていた。魔法学校に登場するものや呪文にはたくさんのダジャレや言葉遊びがつまっていて、それを翻訳家がいかに訳したかという裏話が書いてあるもの。それを読むのを毎回楽しみにしていて、当時翻訳家はなんてすごいんだ!と心が躍ったのを覚えている。それから言葉を訳す、ということになんとなく興味がある。 映画「メッセージ」も好きで、とてもワクワクした。
私たちはいつも"翻訳"の作業を欠かさない。他者の気持ちを想像するとき、自分の中にある気持ちでなるべく近しいのはなにかと考えている。私という言語でものごとを変換する(しかない)。その工程で抜け落ちるものや、余計についてきてしまうものがあって、真っ直ぐ伝わることがないという事実が、悲しくて面白くて愛おしいのだと思う。
andymori 「兄弟」
菅田将暉ANNで小山田壮平と歌った動画を見つけて知った。小山田壮平の歌声を聴いているとき、草原が風に吹かれて波立つ風景を思い浮かべる。
人とじっくり話すことが好き。書くよりずっといい。もやが晴れていく。全てをわかりあうのは難しいと互いにふまえた上で、私がどうしようもなく私のままでしかいられないのを見守ってくれる人がいること、いつだって忘れないでいたい。そういう気持ちをこの曲に預けながら、帰り道を歩いた。