〜6/24

バイト始めたりマッチングアプリの人と会いはじめたり、7月に入ってから私としては驚異の活動力を見せていて、あまりまとまって文章を書く時間も気力もない。ので少し前の下書きをまとめて投稿しておく。こうやって日記みたいに文章を残しておくこと、ブログを始める前はけっこう怖かった。感じたことを文章にするにあたって、こぼれるものって絶対にあるはずなのに、読み返したときにまるでその文章がそのときの全てみたいに錯覚してしまったらどうしようと思っていたから。でも書いてみると、その不確実性が潔くて、そういえば「文章にする前の感情」さえも別に確かなものじゃないことに気づく。毎日コロコロ変わる自分の心を、他人のようにおもしろがっている。

 

6月10日

めちゃくちゃ家にいるから、話す相手が基本的に母親になる。母と話していると、やっぱり私はもっと私としての生き方のパターンを、交友関係や恋愛その他もろもろの社会的関係それぞれに、増やして、確立していく必要があるのだと思わされる。確立したそれに自分自身で納得できるようにならない限り、母の生き方や考え方に無闇にひっぱられるままなのではないか。ひっぱられたところで私は私のままなのに。母も色んなことを自覚はしていて、「私はこう思うけど、あなたはそうじゃなくてもいいんだからね」というのを何度も言ってくれるし、それが本心かどうかは置いておいてそれを言いたいと思っていてくれてる気持ちを汲みたいから、そのために地盤をもっと固めていかないといけないのは私のほうなのだ。これは自分を責めているとかではなくて、むしろ前向きな話。私の生き方のパターンが固まれば、今よりもっと他の人の生き方を肯定できるというか、そこに後ろめたさを感じなくてよくなるはずだから。だらだら書いているけど要するに行動を起こして自立しようということです。

 

この歌の歌詞が頭に浮かんで、やっぱり大好きで大切な曲だと浸る。英題が「PEOPLE AND PEOPLE」なの素晴らしくないですか?人と人とのことだもの。

あなたはあなた

あなたはあなた

  • 柴田聡子
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 

 

6月24日

 

就活も終わりかけているはずのところで、今になって本当に色んな選択肢があることに気づいたりしてまだぐるぐると考えている。何を大事にしたいのか、したら良いのか。まだ時間はあるからゆっくり考えたい。そして就活が落ち着くのであれば次に待つは卒制なのだけど、それも全く予定がたたない。まだふわふわとやりたいことが散らかっていて、それらをなるべく取りこぼさずに一つの作品にできたらいいな。どことなく他人事な感じ。

そんなこんなで大学に入ってから一番くらいの勢いで創作から離れ(ることを許せ)ていて、そして大学に入ってから一番くらいの勢いで精神的に安定している。私にしかわからないくらいの私の変化だけど、たとえば新宿を歩くときにマップに頼りきらずに地理を覚えてみようと意気込んだり、お酒の味の違いがわかると楽しかったり、今まで似合わないと思って買ってこなかった形のTシャツを着て意外といけるかもと気づけたり。そういうことが私には珍しく、嬉しい。一言で言ってしまえば「余裕」があるのです。日々に。何かを作り続けていなくても、私は情けなくなんかなく、可哀想なんかじゃないことを実感している。そう思うと、私にとって創作はいつのまにか「他者から承認される(ことを通して私が私を承認する)ためのツール」としての役割が多くの割合を占めてしまっていたことに気づく。この間「徹子の部屋」の片桐仁を観ていて、私にはもっと、粘土を手のひらで揉みくちゃにして、やわらかいなあとただ思う時間が必要なのだと思った。昨日行った上野の森美術館での木梨憲武展も、そういう時間が生み出したキラキラが並べられていて、眩しくて仕方がなかったのだ。

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ひとまずここまで。ここで書く習慣、一年くらいは続けたいと思ってるけどどうなるかな。また書きたいときに書きます。