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・「星野源オールナイトニッポン」5/11&「いのちの車窓から」6月号

今週の星野源ANN、最後の生放送部分がさりげなくもぎらりと光る良い回だった。その後コラムを読み、つくづく星野源、すげ〜〜〜〜〜太刀打ちできね〜〜〜と思った(そもそも太刀打ちできる必要もないけど)。

まず「いのちの車窓から」について。テーマは「やりなおせるなら」。しっかり心当たりのあるところ全てに言及がされていて驚いた。きっと私が想像するよりもっと勇気の要ることだと思う。ラジオネームについては、パタリとやめたのが確か2020年の半ばくらいで、当時はうちで踊ろうのことやBLMがあり、荻上さんと星野源が親交を深めたのもこのあたりで色々きっかけがあったのだと踏んでいる。どうしてやめたのかは普段の活動とか考え方の変化を見ていれば十分に想像できたから、本人からこのことについて説明があるなんて特に期待もしていなかった。でもちゃんと言葉にしてくれた(またそれがラジオという聴取期間の限られた音声媒体を主体とせずに雑誌のコラムで文字にしっかり残しているという場所の選択も聡明すぎる)。

星野源はいつも、ほしい時にほしい言葉をくれる人だ。同じようなことを思ったのはアルバム「POP VIRUS」の発売前後のときで、「愛してる」という言葉の捉え方の変化についての話が印象的だった。生きていれば変わらない訳がなくて、今まで星野源が「そっちの扉の前には荷物があるから」と選ばないでいた扉があったとして、でもそちらにやっぱり進もうと思った時に、彼は扉の前の荷物を踏んづけて通るのではなく、整理して、道を開いてから進む。その背中を追う人は「まだ荷物あるじゃん!」なんて思うことなく、戸惑いなくあとに続くことができる。言葉にしてもなお届かない人、そこで踵を返してしまう人だっていたかもしれないけど、私は度々くれる言葉をいつも聞く姿勢でいたし、言葉があったからずっと好きでいられているのだと思う。

そしてANNについて。コラムの感想メールがとても素敵だった。私も「全員には寄り添えないよ」とこぼした日の、その声色をすごく覚えている。調べたら2018年の放送だった。彼は他人に寄り添おうとするのではなく、「自分を裏切らない自分の在り方」をずっと探し続けている。まず自分に寄り添う。変わることから逃げないその動機が他人のためではなく自分のためであることがすごく健康的で、そのさまに安心する。私が彼を好きでいられているのは、言葉をくれるというのともう一つ、どうしたって自己犠牲を強いられてしまうような立場にいても、「自分」を大切にしてくれているとわかるからだ。あらゆるものを背負って、犠牲にしているものなんてきっと沢山あるんだろう。でも諦めたくないたった一つのものを守るために、潔く沢山のものを諦められるところが強さであり、彼の嫌がる「誠実さ」だ。

 

二つあわせて、彼を改めて好きだなと思う良い回だった。「リスナーなんてうんちだと思ってるからね!」直後の寺ちゃんの盛大なツッコミには笑っちゃったけど、ラジオを敬愛する人間としての矜持を感じ、なんだかぐっときてしまった。

 

なんかほんとうに、星野源という人間は一人では到底抱えきれないはずの量のものを抱えてここまで走り続けていて、いつその歩みを止めたっておかしくないと私は思っているんだけど、だからこそ、明日どうなるかわからないような「好き」が、毎日少しずつ続いていることが嬉しい。何かの拍子で大嫌いになってしまうことがあっても、そこまで積み重ねられた「好き」を疑いはしないと思う。たぶん。「好き」って気持ちは、「いつだって嫌いになれる余裕」なのかもしれない。

 

最後にこの歌を貼る。

サピエンス

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