映画「ハッピーアワー」
五時間とちょっと。下北の映画館で二回の休憩を挟みながらの観賞。なんていうか、とても言い表せない。そもそも登場人物の中に”誰かに感想を抱かせるために存在している人”がいないようだった。物語のなかであるはずなのに。だんだんと映画ってなんだったっけ?演技ってなんだったっけ?って、かき乱されていった。だから言い表せない。強烈な体験になったことだけは確か。20年後とかにまた観たいな。
空気階段の踊り場
なんとなく丸々一ヶ月分くらい聞いてなくて、まとめて聞いたらやっぱりおもしろすぎてすごかった。もぐらほどおたより読むのうまいパーソナリティーいないと思う。「キモいやつ見ました」の、脅してきたヤンキーと片思いの子が付き合うことになってしまった学生に声出して笑った。切ない。最新の回(2/14)で吉田拓郎「全部だきしめて」がサイコゥソングになってて、前回のエントリーで書いていたからこんな偶然あるんだ!ってちょっと嬉しくなった。岡野さんのCM元気でる。岡野さんといえば、このツイートが好きでなんか大切にしている。
みんな!世の中神様なんていないから各々頑張ろうねー! pic.twitter.com/resQAwQfv2
— 元巨匠 岡野陽一 (@kyoshouokano) 2019年8月12日
荻上チキ・Session 2/18
星野源ゲスト回。聞いたことある話が多かったけれど、「今自分が思っていることや口に出したことは自分の本心なのかを疑っていくといい」っていうのを改めて聞けてよかった。三年前に、インスタライブで変なフィルターでふざけながらも真面目に話していたのをすごく覚えている。「ディスタンクシオン」の話を聞いていて、このブログの形式(はじめに固有名詞を並べる)をちょっと変えたくなったりした。まあでも振り返りやすいからいいかな。
自分にとって、このブログを書くことは地図をえがく作業だ。わたしの星には「好き」が転々とたたずんでいて、ふとしたときにその間に道ができる。道はどんどん枝分かれを続けて行き止まったり繋がったりしながら、広がっていく。住人はわたしの他にいないから、果てのない土壌をどこまでもわたしの暮らしやすいように、豊かにしていく。そんな感じ。
配信「劇場版まーごめドキュメンタリー まーごめ180キロ」
「まーごめ」ってなんかTwitterでよく見るなーママタルトのギャグなのかなーくらいの認識でいたのだけど、ヒコさんのブログ読んで気になりすぎて観た。もちろん詳しかったらもっと楽しく観られるんだろうなとは思ったもののドキュメンタリーとして濃厚すぎた。大鶴肥満と父親の会話はほんとに凄まじい。あの言葉のやりとりはどんな脚本家にも作家にも絶対に書けない。
きゅうりで一度死ぬ→両手にアイスクリームの映像が天才。なんかご利益ありそうだと思ってスクショしました。貼っていいらしいから貼る。
最近は就活とか家の片付けをしていて、こうして将来のことを考えていると、わたしはまだしばらく死なないんだなーと思う。「死にてー」の感情(どれほど深刻かは文章にしたところで伝わるものでもないだろうしわたしにもわからない)は意識のあるときは常にあるけどわたしの場合それを持っていることで何かから許されようとしているのかもなと思うことが多くて、でもなかなか死ねそうにないのであればこの、「今」をよくしていくほかないのだな、みんなそんな感じで生きてたのかーなどと気付き始めた。だからいろいろ、やらなきゃと思ってやらずにいたことをひとつずつやる。
カネコアヤノがCMソングをやるらしくて、聴いたらもうすでに好きだった。嬉しいし楽しみ。カネコアヤノの新譜はいつ何時でも待ち遠しい。
あと本当にどうでもいい話、このブログは星乃珈琲でちょっとトイレを我慢しながら書いているのだけど、「関西コント保安協会」の「喫茶店で彼女をグッッッてやる客」のネタはたぶんぜったい喫茶店でネタ書いてて思いついたネタなんだろうなと思った。知らないけど。本当にどうでもいい話でした。